※この記事は、以前のブログにて2016年10月に投稿した内容に、加筆・修正したものです。
本日はハロウィン(ハロウィーン)ですね!
私は以前より、個人的にハロウィンが好きなのですが、
死者の魂が帰ってくる日だとか、
収穫祭も兼ねているだとか、
1年の始まりでもあるだとか、
そういう話にワクワクするタイプです(笑)
…とはいえ、一方で今の日本では別の祝われ方や楽しまれ方が広まっているわけですし、
実際のところはどうなのか?
というところが気になったので…
ここでひとつ、ガイドとトークをしてみたいと思います
(※こちらのブログでは初ですが、
以前のブログではちょくちょくガイドとのトークを記事にしたりしていたのです!)
なお、これは今回に限らず、私とガイドとのトーク記事全てに共通することですが…
あくまでも私と、私のガイドの場合は、こういう情報がやり取りされる
という話です。
ガイドについている名前も、あくまでも私が普段呼んでいる名前になります。
ですので、内容については、鵜呑みにはされないでくださいね(^_^;)
「地宮みさとっていう人、普段こんな風にチャネリングしてるんだな~」
といったくらいの、ゆる~い感じでご覧になるとちょうどいいかもしれません(笑)
ではでは早速…

冒頭で言ったように、今日はハロウィーン。
そもそもは1年に1度、死者の魂がこちらの世界に戻ってくる日とか、あるいは秋の収穫祭とか、1年の始まりとか、色々言われているけど、
いずれにしても、古代ケルトにおいては特別な日であった…というのが定説だよね。
で、同じように死者の魂がこの世に戻ってくる日として、日本ではお盆があるよね。
古代ケルトでは、近い時期に何らかの祭日があったかもしれないけど、多分、少なくとも日本のお盆と同じではない。
そして、ここ数年で日本にも急激にハロウィーンが広がった印象があるように、
日本にとって、そして今となっては世界のいろんなところで、ハロウィーンがそういう日だとは思われていない。
文化の違い、経緯の違いと言ってしまえばそれまでだけど、
その文化や経緯の違いで、同じような性質を持つとされる日のある時期が違うというのは、
実際の、そっちからの観点ではどうなるんだろうなと思ってね。
まあそこもそれぞれだとは思うんだけど、私のガイド諸君としてはどうなのかなと。



そうだな…
人の思いというのは、こちらにも反映されるからな。
こちらとそちらは、つながっているんだ。
…ということを踏まえると、
文化の違い、経緯の違いごとに、その考えを反映した部分が形成され、それが実際に、その考えを持つ人々にも影響を与えている。
という関係になっていると言っていいのではないか?



信念体系って呼ばれるやつ?
共存関係のようになってるわけだね。



あるいは共依存関係かもしれないが。
どちらが先か、となると、ケースバイケースとしか言えないな。



ふむ、と、なると…
生前、強く信じている死後観があると、亡くなった後にその考えを元に作り出された場所へ行き、
同じものを信じている生者の元へ、帰れると信じている時期に帰りに行く…
という形になるということかな?



それもあくまで一側面だけどね。
例えば、死後に信念体系から抜け出て、別の場所に行った魂の中にも、
「家族が信じているから」ってことで、特定の日にだけピンポイントで家族の元に帰る魂もいたりするよ。
本当は、行きたい時にいつでも行けるんだけどね。
行こうと思えば、の話だけど。



…「行こうと思えば」、ね。
そもそもその発想に至らないことには…



実際には簡単にできるようなことをできなくさせる、っていうのは案外、容易いんだよ。
それも体験といえば体験だけどさ。



君、時々黒いことあるよね…



フフフ…(▼∀▼)
でもそれは、逆も言えるからね。
要は使い方次第さ。
話が逸れちゃったね。
と言っても、何でもかんでも信念体系が云々ってわけでもないよ。
実際に、地球以外にも色んな要素が組み合わさって、ある特定のエネルギーが強まる日というのもあるんだ。
だから、こっちから見たら、
「あーなるほどねー、あれをそういう風に解釈したんだー」
っていうのもあるよ。



スピリチュアル的に、理に適っているものもあると。



物質世界的にもね。
さっきテネリュスが言っていたように、こっちとそっちはつながってるから。



つまりは、さ。
大元を辿って、特別…というか、エネルギーが強まったり弱まったり、こういう“動き”や“流れ”になったりする時期というのがあるとして。
それを感覚で、複数の文化圏の人々が感じ取ることもあるけど、どう解釈するかは違ってくる。
…ということかな?



そう思ってもらっていいかな。



ついでに言うと、いわゆる魔術やまじないといったものも、似たようなものだな。
信じている、いないはかかわらず、大元である原理や原則、“動き”や“流れ”に沿えば、効果は表れる。
ただ、その効果をどう解釈し、どう活かすはそれぞれ…といったところだ。



ほほう…
最後に何やら、思わぬヒントをいただいてしまいましたが(笑)
“本質”が存在し、それを見る角度や場所など、さまざまな違いによってそれぞれの細かな解釈が生まれる。
この考え方は、スピリチュアルに限らず大切なことだと思いますよ~
(例えば、複数のことを同時に学んだり身につけたりする時、この考えが腑に落ちていると成長が早くなったりもしますからね!)
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